思い出はタカラモノ

舞台と推しの話メイン

知らずうちに置き換わったもの

人生で初めて公演中止の発表を浴びて、ちょうど4ヶ月経った。

(受け入れることも拒絶することもできない事柄を、「浴びる」と表現するのが相応しいと思って以来たまに使ってる。人の受け売りだけども)


なんとか生きてる。
本当に、なんとかという感じ。余裕のない日々。
お店が開いたり美容院に行けたり、そんな日常が戻ってきても自分の気持ちはちっとも上向きにならない。
観劇がなければ、もうそれは「何もない」と同義であると痛感している。
瞬間的に楽しいことはあるけど、長続きしなくてすぐに元気がなくなってしまう。


ここまで落ちている時、メンタルを保つため「考えないようにする」「期待しないでおく」ことが自分にとっては一番効果的だ。

それを理解しながら、私は3月頭の段階から今までこれを全く実行してこなかった。
たくさん考えたし、もうどう考えても無理な状況と分かってはいても、観たいと思い願い続けてきた。
結果的に気持ちは全く這い上がって来れないけど、それで良いとすら思っている。

何故だか「考えないようにする」「期待しないでおく」ことはどうしてもしたくなかった。
更に落ち込むことが分かっているのに、なぜ敢えてその方向へ進むのを止めないのか、自分でも不思議に思い過ごしていた。


そんなことを考えながら過ごしていたある日、ベッドに入ったタイミングでこのツイートを見かけた。




「一時的なつもりでいる諦めが、いつの間にか恒久的なものに置き換わらないかが怖い」


自分では語源化できなかった、ずっと心に引っ掛かっていた出来事の答えに出逢ってしまったと思った。

私は過去、これを要因として大切にしたかった感情を失った経験がある。

脱線しそうだから詳細は省くけど、舞台界隈に足を突っ込む前、私はあるバンドが大好きだった。
新曲→ツアー→アルバム→ツアーというようなコンスタントな活動をしたのは2012年が最後。

次はいつになるのか、いつまで待てばまた会えるのか、むしろ次はあるのか。

そんな不安が強すぎて、とても耐えられないと感じたのは2015年10月だった。
直前に終わったライブがあまりにも楽しくて、曲を聴く度に泣いてしまうほど反動の喪失感が大きすぎた。
好きだと思うところ~会えないと認識するところまでセットになってしまっていて、想うことすら辛かった。


その時私が取った行動が、「考えないようにする」「期待しないでおく」だった。
考えないために、泣かないために曲を聴く頻度を極端に減らし「次のライブは無いかもしれないし、もし無くても大丈夫」と思いながら日々過ごした。(所謂心配しないでね私は大丈夫だから状態)(刀ミュネタを挟みたくなる病を患っています)


「ライブして欲しいな」ではなく「ライブはやらないだろうね」
「会いたいな」ではなく「会えない人たちだからしょうがない」
期待をせず、諦めたふりをするようなことを思いながら過ごした4年の間に3回のライブが開催されたけど、MAX値の熱量で挑めたことは一度もなかった。
結果的に、これまで通りに追いかけることは辞めるという結論を出した。

勿論、これ以外の要因や細かな気持ちの変化はたくさんあった。
でも「一時的なつもりでいる諦めが、いつの間にか恒久的なものに置き換わったこと」が要因の一つであることは、間違いないと思っている。


これに気が付いた時本気で心臓が冷えるような感覚がしたし、なんてバカなことをしてしまったんだろうと思った。
好きなら、そのまま好きでいれば良かったのに。
想うことが辛くても、心のままに好きでいれば良かったのに。

若かったし、当時は他に心を保つ方法が分からなかったから、仕方がないのかもしれないけれど。
随分久しぶりに「後悔」という気持ちを味わった。



そして今、もう絶対に同じ後悔をしたくないと思っている。


「次に舞台を観られるのはいつなのか?」
そんなの世界中誰に聞いたって分かる訳ないけど、考えることを止めたくない。

「1年には上演できるようになってないかな」
期待した分、望んだ未来が訪れなかった時に大きくダメージを受けるだろう。
それでも私は期待してたい。
期待していないフリをして、自分の気持ちに嘘はつきたくない。
舞台を観ることを諦めたくない。


多分私は、エンタメとエンタメの世界で生きている人たちと共に苦しみたいのだと思う。
立ち位置も志すものも違うから、同じ温度感、同じ気持ちでいるのは不可能なことだと分かっている。
だけど、それでも最大限想像力を働かせられる範囲に、自分の身を置いていたい。
心だけでも寄り添っていたい。
いつか夜が明けた時に、共に爆発的な温度で喜びを感じたい。



双騎出陣2020~SOGA~
幕末天狼傳2020
大演練


これらの上映が発表された時、それはもう爆発的に喜んだ。
特に、現場おたくな私が無観客生配信の大演練に大喜びできたこと、素直に嬉しかった。

勿論状況は刻一刻と変化していくし、本当に上演できるかは分からない。死に物狂いでチケットが取れたとしても観られない可能性がある。何もかも今まで通りではない。

それでも私は、今まで通りに先行スケジュールをノートにまとめたし、申込みの計画を練っているし、一般発売までチケット戦争を闘い抜く気だ。

もしチケットが手に入ったら泣いて喜ぶし、もし中止になったら涙が枯れるくらい悲しむし、もし無事上演されたら嗚咽を堪えながら観劇する。

一喜一憂するのは疲れることもあるけど、その時の感情に従って生きていきたい。

いつか舞台が戻ってきた時に、これまでのような楽しみ方ができる自分でいられますように。