思い出はタカラモノ

舞台と推しの話メイン

10年ぶりの経験

かつて好きだったアーティストがいた。
小学4年くらいから好きで、大学1年で初めてライブに行った。
途中、所謂「方向性の変化」があり、変化はあれどやっぱり好き、みたいな期間が2~3年あった。が、結果離れた。


先方の変化を起因に、好きなものや人から離れた経験は過去にあっただろうか。そんなことを考えていてこのことを思い出した。

自分自身の変化を起因に好きなものが変わったことの方が、経験としては多い。嫌いになった訳ではなく「より好きな何かができた」だけだから、立ち返ったり再燃した経験もある。


彼女に関しても、離れたと言っても見ているテレビに映れば見たし、数年後に「今回の曲は好きだな」と思ってCDを買ったこともある。今でも昔の曲を聴く。離れたからと言って嫌いになった訳じゃない。

彼女が当時の「推し」だったかと言われれば、自分の定義上そうではないと思っている。
彼女の歌に元気をもらっていたが、応援する気持ちより、ただ一方的に受け取るだけのスタンスが強かった。

 

とにかく楽しく生きたい。
いつ死ぬか分からないなら、毎日楽しい方が良い。
働くことは楽しいとはかけ離れているから、趣味だけは絶対に楽しむと決めている。

当時の私は今よりもっと愚かで、いつも自分の意思がはっきりしないし、何にでも流され、何かに依存して生きていた。
でも今は違う。愚かな部分はまだまだあるけれど、自分の意思や大事にしたいものははっきりしている。ある種こだわりが強いとも言えるが、「私は私」と思って、それなりに楽しく生きている。

周りを囲んだ好きなもの達を愛でている時、とても幸せを感じる。
こだわりが強くなった分、昔より好まないものに遭遇する確立は高くなった気がするが、距離を取ったり、ここは苦手だけどここは好き、と折り合いをつけられれば、あまり影響はない。


ただただ心の底から好き!と思えるものに出逢えることの方が、もしかしたらそんなに多くないのかもしれない。


でも奇跡的に出逢ったのだ。全てを好きだと思えるものに。
何の憂いもなくただ心に従って突き進むだけで、これだ!と思う瞬間に何度でも出逢える、素晴らしい存在に。
そして失った。


勿論好きな要素はたくさんある。今でもある。
でも「好き」の根幹が突然180度変わって、とてもショックを受けた。
自分がこのコンテンツに対してネガティブな感情を抱いていることにも、ショックを受けている。
「文句を言うなら見るな」と他人に対して幾度となく思ったことがあるが、まさに今の自分に対してそう思っているくらい。
だけど、すぐにシャッターを下ろせないこともあるとよく分かった。好きだったからだ。できることなら、まだ好きでいたい。

少しずつの変化を受け入れる方が多分楽だった。自分を誤魔化したり、なんとか折り合いがつくところを探せたかもしれない。

でも世界は変わったのだ。
たった2時間15分で、私が4年愛した世界はもうどこにもないのだと思い知らされた。


心に空いた穴がはっきりとその形を成していて、何か他のもので埋められる気がしない。

先方の変化を起因に「好き」が揺らぐという経験は人生2回目。ただ、途方に暮れている。