思い出はタカラモノ

舞台と推しの話メイン

双騎出陣2020

9/23、幕末天狼傳の東京公演中止が発表された。

9/26、双騎出陣の4公演中止が発表された。


夢への招待状2枚が、またしても紙切れとなった。

心に受けたダメージは相当大きくて、もう歩けないかもと思ってしまった。
これまで生きてきた中で、一番危うい日々だった。
(中止という決定には納得していた。あくまでも自分が感情を処理しきれなかったという話)


結果的に私の双騎初日となった10/2も、公演が始まる直前まで、本当に始まるのかという不安な気持ちは消えなかった。

雨の音と共に暗転していく場内を見てあんなに泣けたのは初めてだった。
半年ぶりに観る舞台。あぁ、無事に幕が上がる、と思える瞬間を、ずっとずっと待っていた。



今回の演目は「ミュージカル刀剣乱舞 双騎出陣2020~SOGA~」

刀ミュに出てくる髭切、膝丸という二振りが、日本三大仇討と言われる「曽我物語」を演じるという所謂「劇中劇」のようなもの。
(この物語の中で、仇討ちに使われる刀の内一振りが膝丸である)
2019年に初演があり、今回は内容をブラッシュアップした再演だ。


2019年の上演は生配信で観たが、内容は勿論のこと、1時間で描かれているとは信じられないほどに濃密で隙のない物語で、本当に感動だった。
曖昧さや理解を削ぐほどに難解なことは一つもなくて、そのどれもが取り零しなくこちらに伝わってる。

今年は内容はよく分かった上で、初の生観劇。
それでも、始まってしまえばもう「楽しい」の一言で、あっという間に物語の世界にさらわれて行った。




あらすじ

幼い兄弟は、最愛の父を目の前で殺された。

兄はその場で敵に斬りかかろうとするくらい勇敢で(勿論すぐ母に止められる)、そこからすぐに「泣いてはいられない、強くなって父上の仇を」と日々鍛練を始める。
弟は暫く悲しんでいたが、鍛練に励む兄の姿を見て次第に「兄に追い付きたい」「兄に寄り添いたい」と思うようになり、兄から剣術を教わるようになる。

そんな二人を見た母は、仇討ちを止めさせるために弟を出家させる。
離れ離れになった二人だが、各々の場所で仇討ちに向けた鍛練を続けた。
大人になって再会した時、仇討ちを誓ったことを忘れていないと確認し、手合わせをして互いに強くなったことを称え合った。

離れ離れになっても、心は同じところにあった兄弟の意思は固い。
仇討ち前母親に別れを告げに向かい、勘当だとまで言われても、仇討ちこそ我らが生きる道と言わんばかりに食い下がる。
母親の元を離れる巣立ちの歌に合わせて舞う姿が、美しい。
他にも道はあったはずなのに、死ぬことを分かっていて巣立つ兄弟とそれを送る母親が、悲しい。

敵の攻撃を受け瀕死の状態になりながらも仇討ちは成功。先に逝く兄、続く弟。
ただ一つの目的のために生き、それを成し遂げて兄弟は散っていった。


天才的な二人の演技力

三浦くん演じる髭切、高野くん演じる膝丸を生で見るのは初めてだった。予想通りというか周知の事実ではあるけど、二人ともまじで演技が上手い。
刀ミュは公演が始まってから千秋楽までに役者の成長が見えるところがすごく好きなんだけど、二人の場合最初に見せつけられるレベルが桁違いというか、まじでプロだなと思う(いつものことだが語彙力がまるでない)

明らかに「フリ」であることが分かるシーン……例えば、ラストの亡くなった二人が操り人形のように動かされて立ち上がり椅子に座るところ。
黒子のようなアンサンブルさんの手の動きに合わせて身体を動かすのがまぁ信じられないほど上手い。
目を閉じているからアンサンブルさんのことは見えないだろうし、恐らく音楽をきっかけに動いていると思われるものの、にしたってそんな上手いことある?ってくらい、操られているように見える。完璧だ。


あとは幼い二人が剣術の稽古に励むところ。
できることを敢えてできないように、下手に見せるってかなり難しいと思うんだけど、それが二人は上手で、本当に子供がお稽古しているように見えてしまう。可愛い。可愛すぎる。

年下の弟は特に動きが幼くて、仕草もそうなんだけど、集中してる時の視線の置き方とか口の結び方まで完璧だった。23歳が演じてるだなんて到底思えない。
ステージ間近で観た時は身体の大きさにびっくりしたけど(二人とも180cmくらいある)、それでも子供に見えるんだから、これを天才と呼ばずして何と呼ぶのか。

こういう、演じているものと実体が明らかに違うのにそう見える、感情移入できるって本当に舞台の醍醐味だよなぁと思った。
(映像なら確実に「子役」という役割に振られる場面だから)


残り10公演以上あるのに既に完成されていて「今日が千秋楽です」と言われても納得できるくらいの演技。
例えで言ってるけど、このご時世いつどの公演が千秋楽になってもおかしくない。
そんな中、毎日千秋楽並みの完成度でお芝居を届けてくれるなんて、観る側としては本当に有難いことだと思った。



ソーシャルディスタンスな演出

演者はマウスシールドを着けていたけれど、遠目だったし目立つものでもなく、マウスシールドがあるせいで…!と思うような場面はなくて気にならなかった。

だが!ソーシャルディスタンスだけはめちゃくちゃに感じた………

初演なら全く気にならないだろう、というくらい演出としての違和感はなかった。
気になってしまったのは再演が故。
初演では触れ合っていたシーンで立ち位置や相手に触れないような動きにまで変わっているのが分かってしまって「おのれソーシャルディスタンスぅぅぅ!」とハンカチを噛まずにはいられなかった。
(幼い二人仲睦まじいシーンが本当に大好きだったのです……)

振付師もせっかく大好きなDAZZLEさんで、息を合わせて互いの身体に触れる絶妙な美しい振り付けが特徴(と勝手に思っている)のに、やはりこちらも距離を保ちながらの振り付けに変わっていて「おのれソー(略」でした。
それでもアンサンブルさん含めかっこよさ健在。正面から観た時の美しさはさすがの一言でした。


とは言いつつも、演者同士距離を保っていることには正直安心もした。
実は先日観た全く別の舞台、演者同士が普通の距離感でお芝居をしていて、マウスシールドもなく少々心配な気持ちがあったのだ。
(それを批判するつもりは全くない。刀ミュとは性質が大きく異なるカンパニーで、それ以外の対策は徹底していたので。)


ただ、仮にその舞台に推しが立っていた場合、心配な気持ちに拍車がかかりそうで、観劇に集中できるか分からないなと思った。
私は自分自身の感染リスクよりも、演者のリスクに不安を感じるタイプなんだと思う。

刀ミュは演者同士の距離が保たれていたことによる寂しさは多少あったが、観劇に集中できないほどの不安や心配はなかった。


現代でリアルな「ソーシャルディスタンス」を取り入れることによって、制限がある中でも何とかしてこちら側に届けようとしてくれている気持ちや努力が感じられたし、「制限がある中でどうすれば今まで通りに近いパフォーマンスができるか」という社会人として同じ視点で試行錯誤しているという事実が(変な言い方かもしれないが)なんだか「一人じゃないんだ」と思えたし、嬉しかったのだ。


更に言うと、ソーシャルディスタンスという距離感が生んだ名場面もあって。

仇討ちを果たした直後、兄弟はその戦いの傷が致命傷で亡くなるんだけど、初演は兄が弟に抱き抱えられるようにして先に、後を追うようにすぐ弟も亡くなり、二人が折り重なるように倒れた状態で舞台は幕を下ろした。

一方今回の再演では、仇討ちを果たした後それぞれが少し離れた位置で倒れ、兄が弟に向かって手を伸ばすもそのまま、弟も兄に呼び掛けながら手を伸ばすもそのまま、という形だった。
互いに向かって伸ばされた手が、届かずに終わってしまった。
引き離されても、二人の心はいつも同じだったのに。

このシーン、毎回観ていて「こんなに苦しいこと他にある?!」といつも思っていた。
フィクションなんだから届かせてくれよおおおという気持ちと、フィクションでも触れられないこの世界の苦しさに、泣いた。

後日観た配信のアングルでは、この伸ばされた手がかなり強調され上手いこと映し出されていて、舞台を映像で観ることの良さを初めて感じることができた。


幕末天狼傳の稽古中は、お昼でも周りとは距離を置き、会話もせずに一人で食べていると聞いた。恐らく双騎もそうだろう。
同じ作品を作っている者同志、きっとそこに向かう心は同じなのに近寄れない、触れられない。
私にはそんなリアルとも重なって見えて、余計泣けた。


コーレス禁止


今回の公演「上演前でも観客同士の発話は控えるよう」というお達しがあったので、勿論上演中も黙っていた。
お芝地で面白いシーンがあってもクスッともできず、ライブで盛り上がっても黄色い歓声もあげられず無言でペンライトを振る。曲が終わったら拍手をする。

パライソを観た時もそうだったけれど、声を出せないことがこんなにも苦しいとは…。

拍手だけで、こちらの気持ちは届くのだろうか。
こんなにキラキラしたものを見せてもらっているのに、何もできないなんて。
そんな無力さみたいなものを感じながら、でもありがとうを伝えるにはこれしかない!と思って、人生で一番力を込めて拍手を送った。(拍手で筋肉痛になる日が来るとは思わなかった)


過去を振り返る刀ミュ


ライブパートで振り付けを教えてくれるアンサンブルさんが「まずは右手でEを作りまーす!」って言った時、反射的にEは作ったものの「…………………………………今Eって言いました???!」ってめちゃくちゃびっくりした。
間違なく2020年で一番度肝を抜かれた瞬間だった。(二番目はパライソで観た「タカラモノ」です)
続く言葉を聞く前に、次は両手でOを作るのだと分かったものの、一瞬前後不覚(概念)に陥った。
「冗談だよ」って言いながら髭切が出て来る妄想までしたけどそんなことは起こらなくて、聞き慣れたイントロで涙腺おかしくなった。ライブパートで嗚咽を堪えたのは初めてだった。


えおえおあ

えおえおあ


私が刀ミュの中でもトップに入るくらい大好きなこの曲をやってくれたんです。
通勤中に聴いてちょっと泣きそうになる、そんな日々をどれほど送ったか分からない。
刀ミュを好きになった頃から、私の日常に変わらず寄り添ってくれる曲。
最後に演奏された2017年は私にとって「映像の中の世界」で、生で聴いたり一緒に振り付けをしたりすることはこの先ないんだろうなと思っていた。それこそ夢にも思わなかったくらいの夢。


『魔法の言葉が響いてゆく モノクロの世界に色を付けよう』

このフレーズを聴くと一緒にペンライトを振った光景が目に浮かぶようになった。
大切な思い出がまた一つ増えました。


双騎が私にくれたもの


最後の観劇だった2020/3/24からこの日を迎えるまで、私は随分と暗い毎日を送っていた。
「明日無くていいかも」という気持ちが、いつか「無くていいや」に変わってしまいそうな、人生で初めてそれと向き合う日々だった。

理由は「日常から生のエンタメが消えたから」に他ならない。
原因追求したところでこれ以上はなかったし、それを補う何かも見つけられなかった。

私にとって初日だった10/2、観劇しながら「あぁ、私今生きてる」と何度となく思った。
座ってるだけで生を実感するなんておかしな話かもしれないが、自分の心が動く音を聞いたのは、随分と久しぶりだった。


帰り道、受け取った大きなものを理解しきれずにぼんやりと歩きながら、観劇前とは目に写る景色が全く違うことはすぐに分かった。
思考が追い付いた時に最初に認識したのは「危機を脱した」ということだった。
唐突すぎるトンネルの終わりに自分でもびっくりした、本当に先が見えなくて、もしかして出口には辿り着けないのかもと思っていたから。
たった2時間半でこんなに元気になることってある?私何か自分の気持ちを履き違えてる?一時的なものでは?と半信半疑だったくらい。


翌日は観劇予定がないから「明日早く来い!」とまでは思えなかったけど、「次がいつになるかは分からないけど、こんなに素晴らしい景色を見られるなら、それが1年後でも2年後でも生きていかなくては」「明日がないと1年後は来ないよな……じゃあ明日を生きよう」と思った。

あの帰り道から時間が流れても、その気持ちはまだ続いている。
過去の映像を観たり、観た景色を思い出したり、元通りではないけれど、かつて過ごした日常に少しだけ近づいた日々を、楽しく過ごしている。



私はこの観劇体験で救われた。
どこかの歯車が1つでも噛み合わなかったら、観劇できなかったかもしれない。

まだ短い舞台おたく人生だけど、この先ここまで晴れ渡る気持ちを感じること、もしかしたらそんなに多くないのかもしれない。
双騎出陣を観劇できて本当に良かった。


ありがとう、ミュージカル『刀剣乱舞』!