思い出はタカラモノ

舞台と推しの話メイン

2020年5月31日

※演目に関するネタバレはありません。


ミュージカル『刀剣乱舞』~静かの海のパライソ~、大千秋楽になるはずだった日。
チケットは持っていなかったけれど、ライブ配信で観るつもりだった。

演目が上演された期間のことを後から振り返ると、ひとつの季節を一緒に過ごしたような感覚になる。
自分の目で観た景色が焼き付いて、季節の移り変わりを感じることによってその景色が自然と浮かび上がるような。


役者さんたちが大きな達成感を得て、たくさんの人からお疲れさまと声をかけてもらえたであろう今日、刀ミュに新たな歴史を刻むことになったであろう今日が、あったはずだった。
2020年という時間軸の中でそれが叶うことはもう絶対に不可能で、そんなの随分前から予想も覚悟もしていたはずなのに。今でも噛み砕けないまま、しこりのように心にずっと残っている。


公演が始まった3月21日からの約2ヶ月は、私が思い描いていた季節とは随分かけ離れたものになってしまった。
それでも、私がパライソを思いながら過ごした季節があったことを、来年秋に笑って読み返すために書き記しておく。


自分史上過去最大のチケット戦争は、歌合の終了と共に始まった。
くるむくんを推しと認識して初の舞台、しかも座長。できるだけたくさん生で観たいと思っていた。
言うまでもなく結果は散々だったけど、できることは全てやったし諦めず最後まで戦い抜いたと、達成感を得て一人打ち上げをしたのは2月22日のことだった

発券したチケットを、大事に大事に歌合のチケットケースに入れて、待っていた。
ただひたすらにワクワクして、キラキラした気持ちだけを抱えて当日を迎えるはずだった。


それから2週間も経たないうちに、無事上演されるのだろうかという不安が胸を埋め尽くした。
チケットを手に入れてから公演までの「無条件で楽しみな時間」に水を差されるほどの有事は完全に想定外で対処法も分からなかったが、この頃の正直な気持ちは「上演して欲しい、どうしてもパライソが観たい」だった。それを口に出して良いのかは分からなかったけれど。


3月17日、初日4日前にして上演がアナウンスされた時はみるみるうちに力が湧いてきた。毎日この世の終わりみたいな顔をして生きていたのに、それはもうびっくりするぐらいの回復ぶりで。
目に映る景色が一気にキラキラしたし、ちゃんと息が吸えるというか、あぁ生きてるな、と思えた。
上演時間、ソロビジュアル、グッズの発表等一気に駆け巡る情報に、喜びと興奮で頭が沸騰しそうだった。


日々状況が変化する中、突然中止になってしまうのではという心配は、自分が観劇する日の舞台の幕が開く瞬間まで途切れなかった。
でも、幕が開いた瞬間からそんなことは全部頭から吹っ飛んで、一部ラストでキャストさんがお辞儀をした時「あ、これ舞台だったんだ」と現実に引き戻される体験が、いつも通りにできたことが嬉しかった。泣いて笑って、感情が振り回される最高の舞台だった。


長年おたくをしてきた中で、私は常々「自分にできることは何もない」という無力さを感じているのだけれど(お金を出すことはできるけど、観劇やイベントという対価をもらっている以上『できること』として括って良いものか微妙なので)、今回は劇場で行われた感染対策(サーモグラフィーや野外整列等)に協力することの他に、自分でできることがたくさんあった。

マスクの着用や消毒、私語を控える、グッズは前日物販を活用し劇場にいる時間を極力短くする等。上演するために協力できることがあれば何でもしたいという気持ちだったから、対策を取ることで自分も参加者の一員になれたような気がして嬉しかった。


都の外出自粛要請により、東京公演は予定より3日早く幕を下ろすことになった。

その後、神戸、熊本、宮城公演の中止が三度にわたって発表され、私が観劇した翌々日(3月26日)のソワレ公演が、結果的に予定よりもうんと早い、予期せぬ千秋楽となった。65公演中7公演目のことだった。

観劇当日に感じていたザワザワは実際本当にすぐそこまで迫っていて、ギリギリの状況だったという事実を思うと、今でも心がひりひりする。


地方公演の上演可否の発表を待っていた4月は、平常時と同じように仕事をしていたけれど、パライソのことを考えていたこと以外どうやって日々を過ごしていたのか、全然覚えていない。
再開できるかも、できないかも、常にどちらかのことを考えて希望したり絶望したり。追加でチケットを手配したもののその公演も中止になる、ということを何度か繰り返したり。ただ毎日、足元がグラグラするような感覚だったことは覚えている。


本来舞台を観た後1ヶ月くらいは元気百倍でいられるんだけど、今回はどうしても元気でいられなかった。
自分も世界も状況が変わりすぎていて、パライソを観劇したことは事実なのに、あの日のことが夢か幻のように思えた。
あんなに元気をもらったのに、それ以上に干からびるスピードが圧倒的だった。


公演が再開できなかったことと同じくらい、円盤の発売が中止と発表された時は言葉にできないほどの悲しみだった。


2020年のパライソは、もう二度と観られない。
映像という形では世に残らない。

本当に「今」しかないものだった。
来年秋に再度上演できるように調整中であると公式から発表されているが、それが実現したとしても「2021年のパライソ」なのだ。
今年上演されたパライソは唯一無二のもので、他の何とも替えがきかない。もう一生、観ることが叶わない。
そう考えるだけで今でも涙が出るし、受け入れられない。「パライソがあった世界線」にいつまでも思い馳せてしまう。


私は一度の観劇で全てを受け取りきれない体質である。
脳内処理が追い付かなくて、どうしても取り零してしまう箇所がある。
だからこそ複数回の観劇を基本としており、そこで理解が追い付いた時に初めて「感想」を言葉にできて、自分で飲み込める気がするのだ。


だから、パライソをもう一度観劇したかった。現地で観劇できなくても、せめて映像でも良いから観たかった。
私の心に、パライソは完結しない物語のように残ったままだ。

時間が経てば飲み込む前に忘れてしまうんだろうかと恐怖を感じることもあるし、実際どうなるかは分からない。

でもできれば、この飲み込めない気持ちを来年秋に劇場へ持って行きたいと思っている。
2021年のパライソを観て、泣いて笑って、感想を言葉にして、受け止めて、きちんと飲み込みたい。


今はまだ真っ暗な道しか見えなくて、もしかしたら想像よりもずっと長い時間、刀ミュを観劇することは叶わないのかもしれない。
それでも、また会える日が必ず来ると信じている。
信じて生き続けることしかできないから、自分の気持ちが続く限り信じていたいと思う。



ミュージカル『刀剣乱舞』~静かの海のパライソ~

上演してくださったことに、心からの感謝を。

またお会いできる日まで、どうかお元気で。